日常のつぶやき

承認欲求と自己実現の狭間で揺れる

みなさんこんにちは!ふりかけです♪

とあるyoutuberの方の動画を見て色々考えさせられた。

そこで語られていたのは「再生数が回らない企画は、視聴者がアクション(再生)してくれないならもう撮らない」という主旨の発信者側のリアルな本音。

YouTubeを継続するためのビジネスライクな割り切りのように思えるけれど、なんだか違和感。

違和感の正体はまだ上手く言語化できないんだけれど、その話を聞いて何かものすごくハッとさせられるものがあった。

だって私も今までに同じことを考えてた時があって全然他人事じゃない。

ハタから見るとこんな感じの気持ちになるのかと、突然客観視できて恥ずかしくなった。

ほかに語られていたことも図星すぎてめっっっっちゃ心に刺さった。グサグサきた。

その動画を見て本当に良かったなと思ってる。

自分を俯瞰的に見ることって本当に難しいことだから。

違和感の正体は?

言語化がんばろ〜✊(最近スマホの時間が長くて思考がショート寸前YO)

「視聴者の方がアクションしてくれないなら撮らない」の考え方に違和感を感じたし、ちょっと偉そうだなとも思った。

これはその方に向けて言っているのではなく、そう考えていた時の自分への言葉です。

たしかにコンテンツを作る側からすると、再生数が回らない動画はコストや手間が割に合わないって考えちゃう。

でも今回、視聴者側に立ってこの話を見たらこう聞こえた。

「見せてほしいなら数字やモチベや利益に貢献してね」

「数字が回らないなら切り捨てるよ」

これって純粋に動画を楽しみにしてくれている人たちに対して、取引をしているというか。

条件付きのギブを提示された感じがして冷たく感じた。

そのままを応援したいっていうピュアな気持ちが数字のための道具にされたなって。

そもそも再生数回るように頑張るのは視聴者なのかな?

自分の都合を相手に負わせない

これ↑は自戒。

きっと時が経つとまた忘れてしまう。

クリエイター側からすると、これはボランティアじゃないし1本の動画を作るのにお金も編集コストもかかってるしっていう切実な現実問題はある。それは確かに存在する。

でもさ!っていうね。

それをそのまま視聴者にぶつけられると、冷ややかな気持ちになるんだ。

書いていて苦しい。自分事すぎて。

クリエイターが努力しよう

視聴者は情報を探したり癒されたり楽しんだりしたくて動画を見てる。

ちゃんと自分にとって価値があるかで選んでる。

だから、視聴者のニーズを考えながら動画の内容とか見せ方とか工夫して、自然と見たくなるように努力しよう。

クリエイター側がする努力とかマーケティングの役割とかを視聴者に押し付けるのやめよう。

見てくれている人はちゃんと見てくれてる。

だから、

……うーん、眠たくなってきた。

クリエイターとしてどうあろうか、の話はまた今度♪

私ちょうど今月は身銭を切ってYouTubeしていたので、思わず熱くなっちゃった。

ちなみに冒頭で触れたそのYouTuberの方は昔から見ていて、これからどんな動画を出してどんな発言をしてもずっと見ると思う。ファンなんだと思う。

最後になっちゃったけれど、私のYouTubeチャンネルを登録し続けてくださっている視聴者のみなさま、いつも本当にありがとう。

私、今まで何回も数え切れないほど驕り高ぶってきたのに、ずっと応援してくださって感謝です。

じゃあまたね〜👋

おやすみなさい😴💤


hurikake.のオフィシャルブログをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました